今年2025年(令和7年)1月21日、伊勢神宮3か月一回参拝を続けて今年で19年目、途中2021年6月だけは入院して参拝はできませんでしたが、それ以外は行く月に違わずここまで続けてきました。
なぜこんなに永く参拝し続けてきたのか?それは神武天皇から現在の126代徳仁天皇までずっと男系男子万世一系で続いてきた皇統をこの時代で絶やしたくないのと、その皇統が幾久しく連綿と次の世代に続く祈りの為です。
神武天皇即位から数えて2685年、我が国は皇室を中心にして成り立ってきました。建国以来一本の背骨に当たる男系男子の繋がり。それが我が国が一つの柱として中心になってきた。それを崩す勢力があってそれを防ぐにはどうしたらいいかという自分の答えが、伊勢神宮へ祈りに通うこと。
親王様がお生まれになったその日からこの3か月1回参拝させていただきました。ただ皇室の万世一系への変わりないつながりの為、本当にそれだけです。
参拝順序は外宮から内宮ではなく内宮から外宮へ

(写真は内宮御手洗場)
私は伊勢神宮へ参拝する場合、必ず内宮を先に参拝します。それは日頃から学んでいる先生の話を聴いてからでしたが、それには歴史的なことがその理由だと話の中で聴いていたからです。
その先生は、宮中に伝わる祭祀を司る流れを組む神道の先生でしたが、その先生の話は日本の起源に繋がる奥深い内容を話される方で、日本人の源流がそこにあると感じさせてくれます。
その話をされたのはもう4年前の話で少し記憶が薄れてしまってますが、思い出せるだけの断片を記憶から辿って書いていきます。
内宮から外宮へ逆参拝する本当の意味

明治時代より以前、江戸時代までは朝廷という中央の政府機関がありました。その朝廷という政府機関の中には太政官と神祇官という大きく分けて2つの政府機関があり、その神祇官という政府機関は天皇を祭主として祀りを行う機関でした。
今は政教分離という原則が働いていますが、その時代は祀り事と政治が一緒という祭政一致の原則が朝廷の中にありました。
縄文の時代から自然の流れの中に生きている日本人は木や水、火や土、太陽までその自然のおかげで生かされている感覚がそこにあって、それぞれ神の名前を付けて古くから祀ってきた伝統がそこにあります。
それは誰が始めたのか分からないですが、つまり政をするにはまず大自然の恵みに感謝し、そこから人々の暮らしをいかにして治めるかというその感謝の気持ちが先にあったことと思うのです。
その自分たちが生かされている感謝の気持ちを日本人を代表して神という形にして祀ったのが天皇であり、そこに神の依り代として日本人の代表として祈り続けてきたお役目が歴代天皇だったのです。
その天皇のお役目をサポートする役所が神祇官であり、その天皇祭祀を司る神祇官の役目を束ねてたのが白川伯王家でした。余談ですが天皇が代替わりする時、皇太子からすぐに天皇になるための修行を教えてきた家庭教師の役目もあったのです。
その祭祀の範囲は地球を飛び出して遠く宇宙の始まりまで神の名前が付くほど広いもので、その宇宙の始まりの一つの球を天之御中主神と名前を付けられたのです。
古来宮中ではその天之御中主神を中心にして祭祀が行われてきました。この今生きている一番根源の源をまず中心に据える。それがなければあらゆる物質も時間も空間も生まれなかったその根源を何より大事にしたのです。
つまり、その大本の神から下がり下って生まれたのが太陽の神である天照大神で、その天照大神のお住まいである内宮からお出ましになって玄関口である外宮で天之御中主神をお迎えするというのが、宮中で伝わってきた参拝だったようです。
それが幕末になって欧米列強が武力で開国を迫ってくるようになると、その欧米列強の技術力ではとても太刀打ちできないと全て文化も考え方も欧米のやり方に合わせなければならない実情に沿って、欧米の太陽の神であるゼウスに沿って、天照大神が中心に据えられたのです。
その結果、天照大神が日本の神の最高神だと中心に据えられるようになり、今の外宮から内宮への参拝方法が一般的になってきたわけです。
日本人には古くから宇宙の根源も含めた大自然に感謝する風習が古くからあり、それを連綿と受け継いできたのが先人たちです。それを大事にしたいと思っています。
もうちょっと書くと、この宇宙を始まりから現在まで日本神話に書かれている内容は広く、そして深いです。地球誕生以前の宇宙、それを象徴するのが天之御中主神で幕末まで朝廷は20世紀に量子物理学が解き明かす以前に、神と言う名を使って宮中で祀られていました。
だから、天之御中主神は人格神ではなく、宇宙そのものの始まりを体現する一つの現象を神と言う名前で呼ばれている。そういう神の在り方なのです。太陽を象徴する天照大神を生み出し、この宇宙そのものを作った天之御中主神をお迎えするのはごく自然な流れで、古来宮中に伝わってきた流れなようです。
伊勢神宮内宮にて祈りを続ける

今年で3か月1回参拝を続けて19年目。この日は平日の火曜日の午前中に訪れましたが、参拝客は絶えず行き交ってました。参拝は始めた頃は、午前中でもこの写真の人の行き来はもっと少なく、静かで心のどこかで気持ちを振り返る余裕があるぐらいでした。
今はそれよりも5倍人が多く、土日になるとこの内宮の正宮の鳥居の所で人が並びます。だから、参拝する時は必ず吉日であろうと土日は避けます。一番伊勢の自然の空気、雰囲気、そして神聖なこの伊勢の全体に流れている心がホッとするそんな静かな聖域。
それをこの伊勢に来て感じていたい。そして皇室の弥栄と男系男子系譜の存続、その存続による国體の維持。その祈りと感謝を伝えに。
この日本と言う2600年続いた世界最古の国がこれからも幾久しく存続するように。そして数々の国難はあれども日本文化と伝統がつつがなく受け継ぐように、そういった祈り。本当にそれだけで18年も淡々と続けてきた。ここは祈りと感謝を伝える場所。
正宮へ挨拶と感謝を伝え鳥居をくぐる際、後ろで年配のおばちゃんの声がした。「御利益がありますように。」私は内心ここは何かを頂くところではないと思いました。
極端な話、「宝くじ1千万が当たりますように。」ってお願いしてもその行為自体が誰かにすがっている姿で、本来の参拝の姿ではありません。その「宝くじが当たりますように。」というお願いは拝むという行為で拝むの字をもうちょっと崩せば愚がむ、私は愚かな行為をしていると宣言しているようなものです。
大多数の参拝客はこういう参拝の仕方をしているのではないでしょうか?私が学んでいる神道はさっきも書いた通り元々宮中でしか伝わってこなかった国家機密(幕末まで)だったので、本当の所を伝えてこなかったところもあるのですが、そこの先生が祈る拝むの違いを話してくれました。
本来神社は感謝と宣言をするところで、その宣言自体が言霊となって実現する。でもいくら神社に通って「~しますように。」と拝殿で手を合わせてもちっとも実現しないとそれを体験している方も多いのではないでしょうか?
それは、実現しない何かが邪魔しているので中々言葉通りに実現しないという向きがあってそれを取り除くのが、よく神主が儀式の前にお清めの塩を振りかける、その行為がお祓いです。自分自身の中の邪魔する何かをお祓いで取り除き、きれいになったところで実現したいことを宣言する。
それが、本来の神道のやり方です。ちょうど、自分の家の排水管に詰まりの原因になる油を取り除く行為と一緒です。築何十年住んでいて1回も排水管の掃除をしていなかったら、凝り固まった油がこびりついて、中々取ることができない。
それと一緒で、長いこと自分自身のクリーニングを行っていなかったらそれが元で邪魔をして、現実創造できない。それを取り除くのが神道でいう祓いです。古来歴代天皇は宮中にて8人の女官に囲まれて祓詞を受けてました。
天皇自体は祓詞を上げることはなく、その役目は八方向に配置した女官の役目でした。その祓詞を聴いて天皇は自分の穢れを清めていたのです。その清めで心の状態をフラットにし、そのフラットな状態で和歌」などで国の平安と外敵の退散への祈りを続けていたのです。
少し、書きすぎました。あまりこういうことは公にはできないもので、つい口が滑りましたね。><。この伊勢神宮も日本の源流と言えるもので、日本人の起源が脈々とそこに息づいている祈りの場所です。だから日本人とは何かという答えをここに来れば解るというのもこの伊勢神宮です。
神社は八万とコンビニの数より多いと言われていますが、その八万の神社にはその神社なりの祈りの在り方があると思います。伊勢神宮もその祈りの在り方がある。だからその神社とその神社なりの心のふるさとの在り方がその神社にある。それが日本人の原点かなと思います。
正宮は感謝を伝える場所、荒祭宮は願いを伝える場所(または宣言する場所)

(写真は荒祭宮)
正宮参拝を終えると、天照大神の荒々しい怒りと奇跡を起こす魂が祀られている荒祭宮へ。ここで大きな会社を興すと誓った人が本当に会社を興したという話。実際に奇跡の力と何かを実現する力強いエネルギッシュな力はこのお宮にあると言われてます。
古来伊勢では和魂幸魂と荒魂奇魂は別々に祀られていて、感謝を伝えに行くのは和魂幸魂のある正宮、荒魂奇魂のある荒祭宮には宣言とお願いをする場所だと言われています。
つまり両方を参拝して初めて一つの神を参拝したことになるので、正宮だけでなく荒祭宮も欠かさず参拝してます。過去この祈りの参拝を続けてきて色々ありました。
「願わくは国家社会の安寧の為に心の眼を開き大願を成就せん。」
その言葉が降りてきたのがその場所でした。手を合した時頭から降ってきた言葉で、その言葉を今でも覚えています。もう10年前ぐらいに振ってきた言葉でしたが、未だに本当の意味が解っていません。だけど、この言葉は何か使命を伝えているように思うので、どんな意味だと真剣に考えずに時を漂わせています。
いつかはその真の意味が理解する時が来るかもしれない、自分の頭でうんうん唸って考えていてもそれは時が差配するから考える外の範疇からやってくる。自分の考えではどうしてもその枠の中から出てくることはない。だから時を待つ。
その祈りを続けて時が経って理解する場面がある。多分そうだと思います。そういった啓示もこの伊勢で与えられることがあります。
自分の願いだけでなく、ただ国の安寧、地域の安寧、家族の安寧、そして幾久しい時の中でこれからの未来への弥栄。その祈りをするところが伊勢神宮。
お神輿やだんじりなどの山車はないが、その喧騒から離れ、静かに心落ち着いて手を合わせる祀りの場所。その国社会の祈りを捧げて外宮へ向かいました。
外宮への参拝、ここには何かある。

もうかれこれ18年前、秋篠宮妃紀子様が第三子を御懐妊遊ばされた時、私はその御子が親王様(男の子)であるよう毎月参拝していました。
これが内親王(女の子)様なら当時小泉内閣で初代神武天皇から脈々と受け継いできた男系男子万世一系の流れを変える流れがあり、その流れを加速してしまう恐れがあったから、何としてもその流れを止めたい危機感からでした。
ただ先人たちから受け継いできた流れを止めたくはなかった。だからこればかりは神頼みというか、それしかなかったから国家の祈りは伊勢神宮しかないと思って参拝を始めたのです。
当時、伊勢のこの外宮でどうかお生まれは親王様であるようすがるように外宮の正宮で手を合わせていました。神様、お願いです。どうかご懐妊された御子様が、親王様であるように。
手を合わせているとどこからか私の頭に響いてきました。それは違うぞ!私が何かするものではない。あなたがこの世界で何をするか?あなたが決めるものだ。あなたは私にすがりに来たようだが今この瞬間どうするか決めれるのはあなただ。あなたが現実創造をしていくのだ。
どうか男の子であるように願っている、私に何とかしてもらいたいという思いでここに来たかもしれない。でも本来は違う。現実をこの瞬間変えることができるのは他でもないあなただ。あなたが決めれば現実は変わる。今この瞬間どうするか決めなさい。
てを合わせていて頭の中にそんな言葉が私の中に響いてきました。今になって思うとその言葉は神ではなく、未来の自分からの言葉だったと思います。こうやってなぜか伊勢に繋がる流れに乗って仲間ができましたし、みんな純粋に我が国を想う人たちばかりの集団の中に現在はいます。
こうやって書いていて振り返ると、だんだん自分の本当の気持ちに沿うよう人生の流れがそうなっていくのかなと感じます。結局は自分の本当に願っていることは実現する。こう書いていてそう思いました。伊勢神宮に永らく参拝続けていたら、伊勢にまつわる関係に繋がる。
そこに自分の意志がはっきりしてたら、その意志に関することが、肉付けされてだんだんその形になってくる。特に外宮では、その意志をはっきりしなさいと最初に頭に響いてきたことを思い出します。どちらかといえば内宮は優しさで迎えてくれる暖かさ、外宮では指導する厳しさが参拝する時感じます。
だから、その辺りはよくみてるのかなと思います。だから私にとってここは単に参拝する所ではなく、掲示と祈りをする場所だと捉えています。
外宮のもう一つ重要な場所 ー 多賀宮

神宮の外宮へ参拝する時、正宮の後に欠かせない場所が多賀宮です。内宮と同じく、荒魂を祀る神社でここがこの神宮の根幹の一つとなっている別宮です。ここには、もう何回か参拝して色々と啓示みたいなのを私の頭の中に伝わってきたことがあります。
手を合わせてお願いしているのなら何かこの世の中に対してこうすると宣言しなさい。参拝する度によく頭の中に伝わってきました。ここはお願いする場所じゃない。何か宣言して自分を立てる場所だ。はっきりとそんなメッセージが参拝するごとに種類は違うとはいえ、一言で言えばそんなメッセージでした。
どちらかと言えばこちらが内宮より強いメッセージだったと後でみて思います。真剣に祈っている人に何か、伝わることがある。だから使命といえば大げさだけど、何か導いているものがここにある。皇室や国のことを祈り続けているうちにその道に自然と導かれるようだったと思います。
これからも定期参拝は続けます。

かれこれ3か月1回参拝を続けて18年、ただ自分の幸せの為ではなく、我が国日本の将来の安泰と皇室のつつがない皇統の継承を祈り続けてきました。ここは国の事を祈る場所。だから一番根幹の皇室やそれにまつわる伝統と文化を根絶やしにしてはいけない。
そんな気持ちで定期参拝を続けてきましたが、同じ我が国の伝統と文化を大事にしたいという思いの人たちにだんだん繋がってきました。また、これからも我が国と伝統と文化を次につなげるため祈りに参拝します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。次の投稿でお会いしましょう。